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第2回

平野:ふたついいですか。まず、違った見方に接するということは、すごく大事だと私も思います。こういう考え方もあるのか、というような考え方にできるだけ多く接するということは大事だと思うんです。それから、もう一個は茶々なんですが、私の研究室の卒研生が私の講義で一番前に座っていたんですが、寝てたんですよ。あれはつらかった。一番前に座った以上はちゃんと起きててくれないと話し手としてはショックですよね。

有賀:それは、話すほうに責任がある(笑)。

平野:そうかもしれない。はい。失礼しました(笑)。

畑:僕は、第二外国語も、人文社会系も、たぶん常識ある社会人をつくるためにとるんだろうとは思うんですが。否定的な意見もありますが、第二外国語なんて強制でもされない限り勉強しないし、何単位以上取りなさいというのも、まあいいんじゃないかなと思います。特に英語以外の外国語を経験するというのは、役に立つとか立たないとかは置いておいて、長い目で見て非常にいい経験だと思うんです。あと、人文社会系は、会議なんかで非常に熱い思いを語られる先生もいらっしゃいますが、僕なんかはまあ、「適当にとっときゃいい。どうせそんなに身構えても目に見えて役に立つものでもないし、長い目で見て血となり肉となるという程度でとっておけばいいのではないか」という冷めた見方をしています。自分の頃を思い出しても、何をとったかは覚えてるんだけど中身を覚えているのはほとんどありません。半年間かけて毎週今昔物語を読んで行くというのだけ、覚えていますが。とにかく大学の講義だけで常識ある社会人が育つわけではないので、それ以外にも新聞を読んだりして社会に触れるということが重要ではないでしょうか。はい、以上です。

平島:まず、人文社会系の話ですが、いくつか取った中で私の中に残っているのも、実は人文地理と今昔物語なんです。今昔のほうは、多分畑さんと同じ先生だと思いますが、いまだに忘れられないのは、テーマが「動乱期の京都で人々がどんなに荒廃した生活を送っていたか」ということでした。僕は、あれは「人を信用するな」という授業だったという印象を持っています。やっぱりそういうひどい生きざまをしなきゃいけないんだということを教えられたような気がしました。人文地理の方は、当時の名物教師の藤岡健二郎先生で。

畑:あ、僕も出ました。

平島:なんかそれが気に入ってしまって、結局、人文地理同好会に勧誘されて入ってしまいました。こっちは理学部だからどうも考えが無機質になりがちで、おまけに岩石なんかやっているので無機物質そのものなんですが、そこで文学部で地理をやっている先輩達としゃべっていたときに「地理の面白みは何なんですか」と聞いたら、「これは人間の生きざまを見る学問だ」と言われました。だから人文なんだ、と。ああ、やっぱりこれは京都みたいに歴史のあるところだから発達する学問なんだなと思ったのはずっと覚えています。ということで、今いった二つの授業は楽しめたんですが、あとは何を取ったのか覚えていません。だから、楽しめる授業と「しゃあねえなあ」っていう授業があってもいいんじゃないかと思います。それから、語学ですけども。私の仕事柄、世界展開をしなきゃいけないので、ノルウェー、イタリア、チェコ、スロバキア、キルギス、中国と渡り歩きました。その中でもイタリアは約1年間現地に住んでましたので、イタリア語は覚えざるを得ませんでした。もう二十何年前になりますが、イタリア語をどこで習おうかなと思って教養の授業を見てみても、その当時は開講されていませんでした。しょうがないから、市販の『エクスプレス 10日間イタリア語』というのを買ってきて、ばーっと読んでいきました。嫁さんのほうが語学力があって、上達が早いので、僕のイタリア語は嫁さんに習いました。女の子はいいですね。女の子で語学の達者な人は、本当の語学教師になれるのは確かです。そんなことで、僕は語学の学習に不真面目だったので、チェコ語も中国語も、覚えた言葉は「ビール」だけになってしまいました。だから、第二外国語は本当は必要に応じてやればいいと思います。私の第二外国語はドイツ語でした。けれど、最初の国際学会で行ったウィーンで、レストランに入ってどうやって注文したらいいか分かりませんでした。まず最初に一言、「bitte」って言わなきゃいけないというようなことは、ゲーテを読まされたドイツ語の先生からは一言も習いませんでした。

三輪:どうもありがとうございます。語学の話を聞いていて、僕もちょっとはしゃべってみたくなりました。先ほど、小田島先生という英語の先生の話が出ましたが、僕も、由良君美という有名な先生に英語を習っていました。四方田犬彦という映画評論とかいろいろやっている人が自分の先生について書いた本があって、それを数年前に教えてもらって読んだんですが、その先生というのが由良君美先生なんです。「僕はあの先生に習ったんだ」と思いました。それで、今、女の人に習うという話が出たので思い出したんですが、もう一人の英語の先生は、岡田愛子先生という女の先生でした。その先生がどういう方かは今もって知りませんが、その授業は、女の先生に大学で教えてもらっているというだけで楽しかったような気がします。(中学・高校と一切なかった。)僕は、第二外国語はロシア語をとりました。スプートニクとかのしばらく後だったと思いますが、その頃はロシア語が3クラスくらいクラス分けされていました。みんな、理系に行くんだったらロシア語は重要だろうという感じでした。英語を書いている時もロシア語みたいにnとpがひっくり返ったりするくらい、1年間一生懸命勉強したんですが、2年目がストで、1年間かけて習ったことを次の1年で全部忘れてしまった。でも今、僕が退職するっていうのでシンポジウムをやってるんですけど、ロシア人がたくさん来てくれています。第二外国語でロシア語をとったからロシア人の友人が増えたわけではないし、ロシア語は意味も何にもわからないけれども、まさに平野先生が言われたように「これロシア語だな」とかいうことは分かるし、書いてあるものが一応発音はできるんです。意味は分からなくても読めることは読める。そういう親近感があることが、ロシア人といろいろ仲良くなれたことと少しは関係があるのかなと思います。僕が言えるロシア語は、「ОсторожноДвери закрываются アスタロージナ (ドヴェーリ) ザクリバーユッツァ」とか、そういうのだけなんだけど。これは、地下鉄なんかに乗った時の、「気をつけてくださいドアが閉まります」というアナウンスの言葉です。あとフランス語は一つだけ、「L'Addition,s'il vous plaîtラディスィヨン シルヴプレ」っていうのが言えます。これを知らないと、レストランから帰れなくなってしまいます。

福田:お勘定ですか?

三輪:はい、「お勘定お願いします」です。その程度です。僕は、一回生の時には一年間一生懸命やったんだけれども、二回生の時に全然授業がなかったことが影響してか、結果的にはあまりちゃんと語学をやったという感じではありません。皆さんの話を聞いていてもそうですが、大学で習ったことがそのままぴったり役に立つということはなかなかないかもしれませんね。こんなことを言うと学生にどんな影響が出るのか分かりませんが。

福田:私は第二外国語はフランス語ですが、確かに、言葉は通じなくてもフランスに行ったらなんとなく親近感がありますね。今は英語で全部通じちゃいますけれど、10年、20年前だと田舎に行くとさすがに何も通じなかったですよね。そんなときに、ちょっと見たら分かるというのは全然知らないより良かったとは思います。

三輪:しかし、こういう話を初修外国語の先生が聞いたら。

平野:そうですね。ただ、一つ思い出したことがあります。僕らの頃は大学院入試の時に第二外国語があったわけですが、その後の出来、さもなければ全体の成績なんかと一番相関があるのは実は第二外国語だったという話があるんです。それを聞いて思ったのが、どこまで使えるかよく分からない新しい学問に関して地道に努力をしたり、実験したり、とにかくやらなきゃいけないということに能力を使ったりすることができる人間というのはやっぱり大事なのかもしれないということです。ちょっと変な逆説で申し訳ないんですけど、必要があったときにそれを身に付けるための十分な努力ができるということはやっぱり必要な事なのかもしれないと思います。

平島:イタリアの時、私は大学に行って英語で会話して帰って来ていましたが、嫁さんは買い物に行ったりしなきゃいけなくて、いきなりイタリア語にさらされちゃったから、もともと語学の才はあったけれども、そのことですごく早く上達しちゃった。

福田:今、留学生がご夫婦で来ると、旦那の方は全然日本語を覚えないのに奥さんの方はペラペラしゃべり出したりしますね。子どもがいたらもっと早いんです。旦那は研究室に行くと英語だけで通じるので全然日本語は覚えないですけどね。

平島:まったく同じでした。北イタリアの西の方ですから、外国人が来たらまず最初に「フランス語は?」と聞かれました。「それはできない。英語は?」と言ったら、じーっと顔をしかめられました。そんな所だったんです。

三輪:トリノかな?

平島:トリノです。

三輪:僕もトリノにちょっとだけいたことある。

平島:あ、そうですか。


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